NIPPER STORY

 "His Master's Voice"という名コピーと共に有名な原画は、1889年にイギリス人の画家フランシス・バラウドによって画かれました。フランシスの兄マーク・H・バラウドは「ニッパー」と呼ぶ非常に賢いフォックス・テリアを可愛がっていてニッパーも彼にしかなつきませんでしたが、彼が世を去ったため、彼の息子と共にニッパーを引き取りフランシスが育てました。
 たまたま家にあった蓄音器で、かつて吹き込まれた亡き兄の声を聞かせたところ、ニッパーはラッパに耳を傾けて、なつかしい主人の声に聞き入っているようでした。
 その姿に心を打たれたフランシスは早速筆を取って、1枚の絵を画き上げました。その時の蓄音器は録音、再生ができるシリンダー式でしたが、その後円盤式に画きかえられました。そして「His master's Voice」とタイトルをつけたのです。亡き主人の声を不思議そうに聞いているニッパーの可憐な姿は円盤式蓄音器の発明者ベルリナーを感動させ、この名画をそのまま商標として1900年に登録しました。
こうして、世界でもっとも愛されることになるトレードマークが誕生したのです。

EMI 「The Collectors Guide To ‘HIS MASTER’S VOICE’ NIPPER SOUVENIRS」より

「ニッパ-物語」

現在、ヨ-ロッパの国々で「主人に忠実であった愛犬ニッパ-」の話は、日本における「忠犬ハチ公」の美談と東西の双璧をなしています。

 この物語の主人公のニッパ-は、1884年、イギリス・ブリストルで生まれています。最初の飼い主は、マ-ク・ヘンリ-・バラウドという風景画家でした。
 祖父にあたるガブリエル・バラウド一家は1800年初めにロンドンに移ってきて、5人の息子と7人の娘がおり、その息子の1人ヘンリ-(マ-ク・ヘンリ-の叔父)が、動物画家として名をあげています。そのヘンリ-の4男として、1856年6月16日に誕生したのが、 後にニッパ-の絵を描くフランシス・バラウドです。フランシスは18歳でピ-ザ・レイ美術学校に通い、さらに、ロイヤル・アカデミ-スク-ルに入って銀メダルの賞を受ける成績までになり、アントロ-プ美術学校を経て、ロンドンのセントジョ-ンズウッドにアトリエを建てています。
 ニッパ-は、マ-ク・ヘンリ-・バラウドと3年間暮らしていましたが、何らかの理由で主人が亡くなり、その息子と共に従弟にあたるフランシス・バラウドにひきとられることになって、その後、死ぬまでの8年間をすごしています。

 1889年、フランシス・バラウドが、エジソンの円筒式蓄音機のホ-ンを不審にのぞき込むニッパ-の様子を画に書きとめ“His Master's Voice"とタイトルを付けました。彼は、なぜこのタイトルを付けたかは明言していないのです。奥さんの記憶によると、最初は、1台の 蓄音機が中にあったということです。
 従って、ニッパ-をその横に描いたのはずっと後と言うことになるかもしれないのです。ニッパ-は、テリヤ系ですが、ブルテリアの血が入っている雑種で気が荒く、自分からは仕掛けないのですが、売られたけんかは受けて立ち、絶対に負けなかったらしいということです。
 フランシス・バラウドが、ニッパ-をかわいがっていたことは絵の表情から想像できます。この絵を、イギリス・グラモフォン社に持ち込んだのは1899年ですから、10年間あたためていたことになります。

 一方、実際に描いたのはもっと後ではないかという説もあります。フランシス・バラウドはそれほど裕福ではなかったので、持ち込む寸前に描いたのではないかというものです。最初に描かれていた円筒式蓄音機を見ると、1883年製のエジソンのものによく似ているのですが、少し様子がちがうのです。その一つは、ホ-ンの形状で、当時のエジソンのものにはストレ-トホ-ンがついており、サウンドボックスが傾斜をしています。この絵では、サウンドボックスが平らでホ-ンが湾曲しているし、ハンドルの位置が合わないのです。一歩ゆずってホ-ンの形状はヨ-ロッパ向けに変更したと考えられますが、ハンドルまでは変えられません。しかし、本体を前後反対にすると疑問は解決するのです。普通使用するときはストレ-トホ-ン を自分の方に向けて録音し、そのままの位置で再生します。この絵では、ホ-ンを向こうに回しているのです。つまり、バラウドは、円筒式蓄音機の正しい使い方を知らなかったことになります。

 「彼の主人の声」のタイトルから推測すれば、ホ-ンからニッパ-の前の主人、つまりマ-ク・ヘンリ-・バラウドの声が聞こえていなければ物語になりません。円筒式レコ-ドは、自由に録音して再生できるから納得できます。しかし、トレ-ドマ-クの蓄音機は円盤式ですから、主人の声を入れたレコ-ドを聞くことができないはずです(マ-ク・ヘンリ-・バラウドが歌手であれば別であるがそのような記録はない)。
 また、円筒式レコ-ドを考えた場合、そのころの蓄音機は高価で最先端行く事務機として売られており、一般には普及していなかったのが、どうして彼のところにあったのかも疑問としてのこります。一説には、このエピソ-ドは後からつけられたともいわれています。
 また、ニッパ-は、亡き主人が好んで聞いていた音楽(その曲名もはっきりしている)が聞こえてくると、蓄音機の前にちょこんと座って耳を傾けたのをバラウドが絵にしたという話も伝えられています。

 さて、話を戻して、描いた時期ですが、ニッパ-は1895年に死んでいます。絵から想像するニッパ-は若々しく、5、6歳であろうと思われます。かりに、ニッパ-を蓄音機の前に座らせたとすれば、あまりよぼよぼでは絵になりません、とすると1890年前半と見るのが妥当で、1889年にきわめて近い線が考えられます。
 その円筒式蓄音機が、どうして円盤式になったのかが、興味のあるところなのです。そのいきさつを、バラウドとイギリス・グラモフォンの社長であったオ-エンの手記から知ることができます。

「Wonderful World of NIPPER.」

イギリス、アメリカ、日本。
3つの国で育った、それぞれのニッパー。

蓄音機から流れる、主人の声に耳を傾けるニッパーの姿が描かれ、“His Master's Voice”と 名づけられた話は有名ですが、イギリス、アメリカ、日本の三カ国でそれぞれに商標登録され、 独自のニッパーが育っていったことはあまり知らされていません。
まず最初にニッパーの絵をトレードマークとして採用したのは英国グラモフォン社。
ニッパーの飼い主、フランシス・バロードが自分の描いたニッパーの絵を持ち込んだのがきっかけでした。
次いで、米国ビクターが商標として使用開始。日本に登場したのは、そのまた後のことでした。
イギリスのニッパーは、原画に忠実な老犬の姿に描かれているのに対し、アメリカのニッパーは若々しく元気。
また、日本では、陶器製の立体ニッパーが数多く造られました。
そんなさまざまなニッパーをご紹介する、「素晴らしきニッパーの世界」。
オリジナル企画の新アイテムが満載です。

「ニッパ-年表」

  • 【1884年】
    黒と白のフォックス・テリア、ブリストル(イギリス)に生まれる。脚の裏を噛む(nip)癖があることから、「ニッパ-」“Nipper"と呼ばれる。飼い主は画家のマ-ク・ヘンリ -・バラウド。※原画に描かれている晩年のニッパーは物憂げな印象ですが、気性の荒いブルテリアの血を受けていることもあり、幼少の時分には相当やんちゃだったのでしょう。ネズミ獲り機を相手にふざけたり、猫の絵に飛び掛かったという、微笑ましいエピソードも残されています。
  • 【1887年】
    画家の死去にともない、ニッパ-は同じく画家である弟のフランシス・バラウドに引き取られる。
  • 【1895年】
    ニッパ-、11歳で死亡、ロンドン郊外ドゥ-ハムズ・ガ-デンの桑の木の下にうめられる。 エミ-ル・ベルリナ-、ベルリナ-・グラモフォン・カンパニ-設立。
  • 【1898年頃】
    フランシス・バラウド、“His Master's Voice"の絵の最初のバ-ジョンを描く、このときの蓄音機はシリンダ-・タイプのもの。
  • 【1898年 4月】
    トレヴァ-・ウイリアムスとバリ-・オ-ウェン、グラモフォン社設立。
  • 【1899年 5月31日】
    フランシス・バラウド、“His Master's Voice"の絵の最初のバ-ジョンを持ってグラモフォン社を訪問。
  • 【1899年 6月2日】
    グラモフォン社社長バリ-・オ-ウェン、バラウドに6月3日(土)か5日(月)に来 社を乞う手紙を送る。
  • 【1899年 6月】
    バラウドとグラモフォン社との間で絵の購入についての話し合いがもたれる。
  • 【1899年 9月15日】
    グラモフォン社バラウドに対して正式に絵の注文をだす、報酬は100ポンドでこれは絵の代金が50ポンド、版権が50ポンド、購入の条件としては、蓄音機をシリンダ-・タイプのものではなく、グラモフォン社の新製品にするというもの。
  • 【1899年 9月16日】
    バラウド、申し出を受理したむねを電報でつたえる。
  • 【1899年 9月18日】
    グラモフォン社、蓄音機をピカデリ-126番地のバラウドのスタジオに届ける。
  • 【1899年 1 0月4日】
    グラモフォン社の代表が“His Master's Voice"の新しいバ-ジョン(トレ-ドマ-ク) を見にバラウドのスタジオを訪問。
  • 【1899年 10月12日】
    バラウドはグラモフォン社に絵の写真を送る。
  • 【1899年 10月17日】
    グラモフォン社に絵が届けられる。
  • 【1900年 1月】
    イギリス・レコ-ド月報にトレ-ドマ-クの絵が初めて登場する。
  • 【1900年 4月~5月】
    エミ-ル・ベルリナ-、グラモフォン社の社長トレヴァ-・ロイド・ウィリアムスと交渉のためイギリスに滞在。このころベルリナ-はトレ-ドマ-クのオリジナルを見たと思われる。
  • 【1900年 5月】
    ベルリナ-、オ-ウェンに対しトレ-ドマ-クのアメリカでの権利を譲渡してくれるよう要請、オ-ウェンは承諾する。
  • 【1900年 5月26日】
    ベルリナ-、“His Master's Voice"の絵をトレ-ドマ-クとして申請、6月10日認可。
  • 【1900年 5月28日】
    同じくカナダでも申請。
  • 【1900年 6月6日】
    カナダでトレ-ドマ-クおよび版権が認可される。
  • 【1900年 6月10日】
    アメリカでも認可。
  • 【1900年 9~10月】
    カナダでのベルリナ-・レコ-ドの裏面(この頃レコ-ドは片面盤)にトレ-ドマ- クが現れる。
  • 【1900年 9月】
    エルドリッチ・ジョンソン、コンソリデ-テット・ト-キング・マシン社(アメリカ)をスタ-トし、“His Master's Voice"をトレ-ドマ-クとして使う。
  • 【1900年 12月】
    ジョンソン、“Victor"を商標として使い始める。
  • 【1900年 12月10日】
    グラモフォン社、社名をグラモフォン&タイプライタ-社(The Gramophon & Typew riter Ltd)にかえる。
  • 【1900年 12月22日】
    G&T社“His Master's Voice"の絵をトレ-ドマ-クとして申請。
  • 【1901年 3月19日】
    イギリス特許庁、申請を認可。
  • 【1901年 10月3日】
    エルドリッジ・ジョンソン、ビクタ-・ト-キング・マシン社(The Victor Talkin g Machine Company)を設立、“His Master's Voice"の絵と“Victor"を引き続きトレ-ドマ- クとして使用。 1903年12月 ニッパ-、針ケ-スに登場(イギリス)。
  • 【1904年】
    グラモフォン社、日本でのトレ-ドマ-クの独占使用権をアメリカ・ビクタ-社に譲渡 。
  • 【1907年 11月18日】
    G&T社、社名をグラモフォン社(The Gramophone Company Ltd.) に戻す。
  • 【1908年】
    ビクタ-社、両面ディスクを発売しはじめる。
  • 【1909年 2月】
    ニッパ-、イギリスのレコ-ド・レ-ベルに登場。
  • 【1909年 7月】
    ニッパ-、グラモフォン社の蓄音機カタログに登場。
  • 【1910年 7月22日】
    グラモフォン社、“His Master's Voice"の絵を“His Master's Voice"という言葉 と一緒にトレ-ドマ-クとして申請。
  • 【1910年 10月】
    グラモフォン社“His Master's Voice"という言葉のみも商標として申請。
  • 【1910年 11月】
    トレ-ドマ-ク認可。
  • 【1911年 1月】
    “His Master's Voice"という言葉のみも商標として認可。
  • 【1913年 3月28日】
    グラモフォン社、バラウドにトレ-ドマ-クの絵の複製の製作を打診、翌日バラウドは快諾の電報を打つ、代金は35ポンド。
  • 【1913年 4月19日】
    オリジナルと同サイズの複製画が完成、アメリカ・ビクタ-社のジョンソンのもとへ送られる。以降1923年までの間に24枚のレプリカがバラウド本人によって製作される。
  • 【1913年 5月29日】
    バラウド、グラモフォン社の依頼によりオリジナル画のクリ-ニングおよびつや出しを引き受ける。報酬は5ポンド15シリング。
  • 【1915年 10月】
    ニュ-ジャ-ジ-州キャムデンのビクタ-工場の塔に直径約4、5 晙のトレ-ドマ-クの ステンドグラス(4面)が設置される。
  • 【1919年 12月5日】
    ビクタ-社とグラモフォン社はバラウドに対し年250ポンドの年金を申し出る。
  • 【1920年】
    ビクタ-社、グラモフォン社の株51%取得。
  • 【1924年 3月】
    バラウドの年金350ポンドに上げられる。
  • 【1920年 8月29日】
    フランシス・バラウド、ロンドンで死去(68歳)
  • 【1927年】
    日本ビクタ-設立。
  • 【1929年 3月15日】
    RCA、ビクタ-の経営権を取得。
  • 【1931年 4月21日】
    グラモフォン社とコロムビア蓄音機会社、合併してエレクトリック&ミュ-ジカル・インダストリ-社設立。
  • 【1950年】
    オ-ストラリア・グラモフォン社創立50周年を記念してトレ-ドマ-クのオリジナル画がオ-ストラリアへ渡る。
  • 【1950年 8月4日】
    ニッパ-の骨が発掘される。

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